パチプロはゴミ、社会の歯車にすらなれない人たち

お疲れさまです。えのころです。

今回は挑発的なタイトルから始めていきます。

今回は”パチプロはゴミ”ということで書かせてもらいますが今回私が指すパチプロは以下の規定すべてに該当しない人たちの事です。

  1. ライター、TV出演などパチンコ・スロットを通して本職がある
  2. ブログ運営で生計が建つ人
  3. 学生・社会人など本業があり、副業の一環としてパチスロを打つ人

つまりはプロと言いつつ他に仕事があれば今回私の指すパチプロには当たりません。自称パチプロ、パチプロw達のことを今回はディスっていきます。

ではなぜ今回このようにパチプロをゴミと呼ぶのか、それはパチンコで得た利益で生きているだけで社会にとって価値のない人間だと思ったからです。

かなり高圧的になりましたがこれは私の実体験、さらには友人を踏まえた上での考えになります。

♦上記パチプロと自称は何が違うのか

なかにはパチプロは所詮パチプロ、全部同じだろと思っている人もいるかもしれません。

確かにそうかも知れませんが、私の考えでは、本職のある人間はそれだけで社会とかかわりがある人間であり、それを通して社会に貢献していると言えます。

ライターであれば打つ事を通してファンを楽しませたり、解析ブログを運営している人はブログを通して多くの打ち手に取って有益な情報を提供しています。つまりは役に立っているのです。

副業の一環である人もパチスロで得たお金で好きなことをし、モチベーションを高め仕事の活力を生み、それが間接的には社会貢献につながりうる可能性があります。(かなり際どいですが・・・)

最も大きいのは税金です。やはり本職のある人間は税という形で社会貢献をしています。所得税・市民税など様々ありますが、自称の方々はこういった税金を納めていない方が多いです。なぜなら給料天引きということもなく、手続きなど面倒なことをして自ら納めようという思考を持っている人はいないでしょう。

まとめると、自称は社会で生きているにも関わらず、社会に何の貢献もしていないからです。(消費税を納めているとか幼稚なことは言わなくていいです)

「パチプロ」の画像検索結果

♦私の実体験から学ぶ圧倒的疎外感

実のところ、私も大学生のころ上記の3番に当たるパチプロごっこをしていました。スロットが大好きで、時間もたっぷりに使えたのでこういった道をたどる学生は意外と多いんじゃないでしょうか。この頃は気の合う仲間もおり、バイトの疲れやストレスを解消することにもこのスロットが役に立っていました。

パチスロを打つためにバイトを頑張ろうと思ったこともありますw

時は流れてニート時代、退職してからは転職活動こそしていたもののそれがない日は打ってばかりいました。最初の1か月くらいは今まで休みなく働いていたのでとても楽しかったのですが、その後は仕事もせず、実家で飯だけを食べ、遅くまで起き好きな時間に起きて打ちに行く、そんな自分に自己嫌悪が止まりませんでした。

社会から取り残され、親に生かされている、いい年をして何をしているんだろう、と圧倒的な疎外感を感じました。

この時、はっきり自称の人間はゴミだと感じました。

♦運命が別たれた”友人”と”私”

学生時代、気の合う仲間が5人ほどいました。みんなで打ち、飲み、温泉に行き、その日の収支や見せ場を話し合っていた時が至福でした。しかし、そんな友人の1人と決別したことがありました。友人はのめり込み過ぎ留年を決めていました。

やることをやらずに、好きなことだけをしている人が大嫌いな私は友人を見下していた部分がありました。結局その友人はもう1年留年したのち途中で大学を中退していました。大学4年生、2留と最も親に迷惑をかけた後に定職にもつかず今でもスロニートをしていると聞きました。私も何とか卒業し転職こそしたものの今では満足のいく生活ができています。

この友人を考えたとき、

  1. 親に金銭的に迷惑をかけている(勿論孝行などできない)
  2. 先に述べたように社会貢献など何もできない
  3. 友人の勝った分誰かが損をする

この3番が実はパチプロがゴミだと思う最大の理由なのです。

♦その勝ちが自称パチプロでなく他の誰かのものであれば?

パチンコだけで生活をしている人は僅かでしょう。つまりそれ以外の人は他に仕事がある人です。

何が言いたいかというと家族のいる人や仕事をしている人の手に勝ちが渡れば人の為、社会の為にお金が使われる可能性がある、ということです。つまり普通の人の勝ちは社会の歯車を回す役割を果たします。

しかし自称の勝ちはそうではありません。自称はあの手この手で勝ちを攫いに来ます。軍団で台を抑える、ハイエナ、ぺナ仕込みなどなどとにかく勝ちに行きます。勝ちに貪欲なことは悪いことではないんですが自称が勝ったお金は自称のためにしか使われません。つまり社会の歯車にすらなれないのです。

♦自称はやめませんか?

最後に勝手ながら私からのメッセージです。”社会の歯車”という言葉はあまりいい響きに聞こえないかもしれません。

しかし私は素晴らしい言葉だと思います。

なぜなら歯車は一つなくなっても大きく機能を失います。少なからず動きに影響を及ぼします。自分自身がその一つであるというのは非常に大儀であると思いませんか?

歯車から離れているというのは言い換えればその歯車がなくても何の影響もないということです。つまり社会にとっていてもいなくても構わない人間であるということです。

そんなの悲しすぎませんか?

生まれてきた以上人間には価値があります。その価値を劣化させるのも高めるのもあなたの生き方次第です。

そしてその価値は一生変化を続けます。

どんなに成功して東大を出て有名企業に入っても、罪を犯せば一気に劣化します。逆に前科を持っていても、更生し家族を養い、立派に一生を全うすることでその価値は死ぬまで上がり続けたといえるでしょう。

「社会の歯車」の画像検索結果

もし今のあなたが今のままではまずいと思うのであれば今この瞬間から心を入れ替え、行動に移してください。

行動する時、今より早い時はありません。たとえ1秒でも過ぎればそれは過去になります。

”チャンス”はギャンブラーの皆さんであれば大切なものだってわかりますよね。人生のスランプグラフはあなたの決意次第でこの瞬間から上向くでしょう。

いかがだったでしょうか。共感してくださる方も反感を覚える人もいるでしょう。

しかしなんと言おうと自称がゴミであるということは間違いありません。社会の見る目も変わりません。簡単に底辺という言葉を使う世の中ですが本当に最底辺です。

この記事を通して1人でも心を動かしてくれる人がいればいいなーと思いながら締めさせていただきます。

閲覧ありがとうございました。

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